<もしも修学旅行が“現地集合”だったら!?>

 たとえばこんな話※1がある。

 その学校の修学旅行の行き先は「石垣島」だった。石垣島といえば沖縄本島から400km以上離れている果ての地だ。まあ、ここまではありえるかもしれない。でも、その修学旅行は“現地集合”だったのだ。

 あなたは「つまらん冗談だ」と思ったかもしれない。しかし学生たちは、親に聞くなり、本を読むなりして、必死に石垣島までの行きかたを調べ、飛行機あるいは船のチケットを自分で手配し、不安に押しつぶされそうになりながらも、やっとの思いで現地にたどり着いたのだった。

 そうするとどうなるか。面白いことに、学生たちは石垣島に着いた時点で感動がMAXになるのだ。ある者は「怖かった」と肩をふるわせ涙した。ある者は「着いたぞ」とはしゃぎ回った。修学旅行の目的が、その名が示す通り“学を修めること”なら、彼らはもう帰ってもいい。
 なぜなら、この島に自力でたどり着いた時点で、すでに、彼らは様々な社会勉強ができたはずだからである。(さすがに親に送ってもらったやつはいなかっただろう……)

 ともかく、学生たちはまるで戦場をくぐり抜けて来たかのように喜び合った。要するに“不便”はひとの感動のハードルを下げるのである。

“ハリウッドのスタッフも認めていますが、日本の現像はとても優秀で綺麗に現像してくれるそうです。ただ、カメラマンの要求は聞き入れてくれないようで、技術者として、自分たちの優れていると思いこんだ現像を行ってしまうそうです。これは現像という作業だけでなくおおくの日本産業に言えることですが、自分たちの技術力に固執するあまり、マーケット全体のニーズを見失う傾向があるということの一例です。”